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東京高等裁判所 平成9年(ネ)3117号 判決 1998年2月05日

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

理由

【事実及び理由】

第一  当事者の求めた裁判

一  控訴人

1 原判決を取り消す。

2 被控訴人の請求を棄却する。

3 訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。

二  被控訴人

主文と同旨

第二  事案の概要

被控訴人の請求及び事案の概要は、原判決の「事実及び理由」の一、二項のとおりであるから、これを引用する。

第三  当裁判所の判断

一  本件の事実関係

後掲《証拠略》によると、次の事実が認められる。

1 乙山松夫から被控訴人への遺言

(一) 債務者乙山三郎の父乙山松夫(明治三五年三月生まれ)は、被控訴人の現在の住所地で農業を営み、本件土地(宅地。自宅の敷地)及び居宅等そのほか多数の農地を所有していた。乙山松夫には、妻花子及び子として六人の女子と四人の男子(二男二郎、三男三郎(昭和一四年四月生まれ)、四男四郎、五男被控訴人(昭和二三年四月生まれ))があった。当初は二男の二郎が両親とともに農業を営んでいたが、昭和四六年ころ家を出(被控訴人は、三郎の借金返済の肩代わりや債権者からの返済要求に悩んで家を出たと陳述するが、定かでない。)、昭和五〇年五月ころから五男の被控訴人が農業後継者として父松夫のしていた農業に従事し、土地改良法に基づく農用地の改良費用等も負担し、また、両親と同居して身体障害者であった父及び母の扶養もするようになった。

三男三郎は、独立して商売をしており、父松夫は事業資金や借金返済のために一定の金銭的援助をした模様である。

(二) 右のような状況を踏まえて、松夫(当時七四歳)は、昭和五一年五月八日、本件土地(換地前のもの)、居宅等及び多数の農地を五男の被控訴人に相続させ、田二筆を四男乙山四郎に相続させる旨の公正証書遺言をした。

2 控訴人から乙山三郎への貸付け等

(一) 控訴人は、金融業を営む者であるが、昭和五六年七月六日、当時スーパーマーケットを経営していた乙山三郎に対し、三〇万円を弁済期同年七月二七日、利息日歩一五銭、遅延損害金日歩二〇銭の約定で貸し付けた。

(二) 控訴人は、乙山三郎を被告として、足立簡易裁判所に貸金請求訴訟を提起し(昭和六一年(ハ)第四六三号)、三郎が口頭弁論期日に出頭しなかったことから控訴人の主張事実を自白したものとみなされ、昭和六二年二月一九日、三郎が控訴人に対し三〇万円及びこれに対する昭和五六年七月二八日から支払済みまで年三割六分の割合による遅延損害金を支払うべき旨の判決がされた。

(三) 控訴人は、平成三年ころも三郎と返済の交渉をしたごとくであるが、三郎は「将来相続財産が入るのでそれで支払う。それまで待ってほしい。」と述べたごとくである(なお、松夫は当時八九歳くらいであった。)。

3 乙山松夫の死亡等

(一) 乙山松夫は、平成八年八月一〇日、九四歳で死亡した(妻花子は、松夫より先の平成二年六月に死亡していた。)。

(二) 現在まで、松夫の子のうち遺留分減殺請求権を行使した者はいないとみられる。

4 本件差押え等

(一) 控訴人は、平成八年、時効中断のため再度、東京簡易裁判所に訴えを提起し(平成八年(ハ)第一九八〇号)、前と同趣旨の判決を得た(三郎については、平成八年当時所在が明確でなかったとみられ、通常の呼出しが行われたものか、公示送達による呼出しが行われたものかは、証拠上明らかでない。)。

(二) 控訴人は、右判決に基づいて強制執行をすべく、平成九年一月一〇日、三郎に代位して、本件土地につき、相続を原因とし、共有者を一〇名の子とする所有権移転登記をした上、本件土地について浦和地方裁判所越谷支部に強制執行の申立てをし、同支部は平成九年一月二一日強制執行開始決定をし、翌二二日受付で乙山三郎の持分一〇分の一について差押登記がされた。

そして、控訴人は、同年一月末日ころ、被控訴人に対し郵便で右差押えの事実を通知し、併せて、示談の意思があるかどうかを照会した。

(三) これに対し、被控訴人は、同年三月五日、本件訴訟を提起し、併せて、強制執行停止の申立てをし、停止決定を得た。

(四) 控訴人は、原審の平成九年六月一〇日付けの準備書面中に、乙山三郎に代位して被控訴人に対し遺留分減殺請求の意思表示をする旨を記載し、右準備書面は、同年六月一九日の原審口頭弁論期日の前に被控訴人代理人に交付され、右口頭弁論期日に陳述された。

二  そこで、乙山三郎の債権者である控訴人が三郎の遺留分減殺請求権を代位行使しうると解すべきかどうかについて検討する。

1 債権者代位の制度は、債権者が債務者の権利を代わって行使することを許す制度である。しかし、このような権利の代位制度は、債務者の意思の自由を侵害することとなることなどから、民法四二三条一項ただし書は、債務者の一身に専属する権利は、代位の客体となりえないものとしている。これは、債務者自らの自由な意思に委ねられるべき事項については、債権者といえども、これに介入し、債権者の意思決定の自由を侵害してはならない等の配慮に基づくものと解される。

2 現行民法の遺留分の制度は、被相続人が自己の財産を処分する自由と、相続人の生活基盤の確保など身分的人格的関係を背景とする相続人の諸利益との調整を図る制度である。

ところで、民法は、被相続人は遺言で共同相続人の相続分を定めることができるが、遺留分に関する規定に違反することができないとし(九〇二条)、また、兄弟姉妹以外の相続人は一定の割合の遺留分を有するとしている(一〇二八条)。しかし、相続による権利が単純承認を原則とし、相続人は相続放棄等の意思表示をしない限り遺産を当然承継するものとされているのに対し、遺留分権利者は当然に具体的財産を取得するものではなく、遺留分減殺請求をして初めて遺留分が現実化するものとし(一〇三一条)、かつ、その行使に一年という比較的短期の消滅時効を設けた(一〇四二条)。このように民法が遺留分の現実化を減殺請求権の行使によるものとしたのは、被相続人がした遺言や贈与をそのまま受け入れるかどうかの選択は、親子、兄弟、姉妹などの身分的人格的関係にある遺留分権利者の自由な意思に委ねるのが適当であるとの考慮に基づくものと考えられる。そうだとすれば、遺留分権利者が遺留分減殺請求権を行使するまでは、債権者といえども遺留分権利者の意思決定に介入することは許されず、債権者が遺留分権利者に代位して減殺請求権を行使することを許すことは相当でないというべきである。

ところで、遺留分減殺請求権については、遺留分権利者の承継人がこれを行使することが認められている(民法一〇三一条)。右承継人には包括承継人のみならず特定承継人を含むものと解されるが、後者についても、遺留分権利者が、まず、遺留分減殺請求権の行使をすることを決定した上で、自らの意思で遺留分を他に譲渡した結果、これを取得した承継人が減殺請求をすることができるとしたものと解されるから、承継人に減殺請求権を認めたのも、遺留分権利者が自らの意思で遺留分を行使あるいは処分する自由を保障した上でのことであると理解することができ、遺留分減殺請求権の行使が、遺留分権利者の自由な意思決定に委ねられるべき事項であることと矛盾するものではない。すなわち、遺留分減殺請求権は、いわゆる帰属上の一身専属権ではないが、行使上の一身専属権であるということができる。

したがって、遺留分権利者の債権者は、債権者代位権により遺留分権利者に代位して遺留分減殺請求権を行使することはできないものと解するのが相当である。

3 なお、このように解すると、債権者が、債務者が将来遺産を相続することを期待して金銭を貸し付けたような場合には債権者の期待に反することになる。しかし、遺産相続は、相続開始まで遺産が残らなければ現実化しないし、相続財産がある場合でも、例えば相続の放棄(身分行為として詐害行為取消権の対象とならない。)があれば実現しないなど、将来の遺産相続は極めて不確実な事柄であって、債務者の資力判断の基礎としないのが通常であるというべきである。したがって、右のような問題のあることは、前記のような解釈の妨げとはならない(減殺請求権の代位行使を認めないとすると、被相続人が相続人の債権者を害することを知りながら他の相続人に財産を相続させる等のことがあり得るが、その程度が著しい場合には、別途解決を図る必要があるとしても、このことが、前記の解釈の妨げとなるとは解されない。なお、本件が右のような場合に当たらないことは、前記認定の事実から明らかである。)。

さらにまた、遺留分減殺請求権の代位行使を認めないと、被相続人が被相続人の債権者を害することを知りながら、相続財産を相続人以外の者に遺贈した場合、被相続人の債権者が相続人の遺留分減殺請求権の代位行使により相続財産を取り戻すことを封ずる結果となって不当であるかのようである。しかし、右のような場合には、被相続人の債権者は相続財産破産の申立てができ、破産法四二条の規定の制度によって十分救済を受けられると考えられる。したがって、右の点も、前記の解釈を採ることの妨げとはならない。

4 控訴人の主張について

(一) 控訴人は、債務者が債権者の介入を是としないのであれば、相続放棄をすればよく、相続放棄せず単純承認の効果が発生した場合には、遺留分を放棄する意思を明示していないのであるから、代位行使を認めることに弊害はないと指摘する。

しかし、相続放棄と遺留分の放棄とは法律上論理必然的な関係があるということはできないのみならず、法の趣旨が、遺言者の財産の自由処分を認め、遺留分権利者は減殺請求権を行使して初めて遺留分が現実化するものとしたことにかんがみると、遺留分権利者が相続放棄しなくても、減殺請求権を行使せず、債権者にこれを譲渡しない場合には、代位行使もできないと解すべきである(代位行使が問題になるのは、実際には、本件のように債務者=遺留分権利者の所在が判明しない場合であろう。)。

(二) 控訴人は、代位行使を認めても、他の相続人が代位弁済すれば、債権者が相続関係に介入することは避けられるから、弊害はないと指摘する。

他の相続人の代位弁済を待たなくても、減殺請求を受けた者は価額を弁償することにより(民法一〇四一条)、当該遺産を失うことなく解決できるのであるから、控訴人の指摘するような問題は生じないのであり、債権者代位による行使を許さないのは、控訴人主張のような考慮によるものではなく、前記のように、法が減殺請求権を遺留分権利者の自由意思に委ねたことによるものである。

(三) 控訴人は、減殺請求権の代位行使を認めないと、債権者の立場を損ない、不当に債務者あるいは受遺者を保護する結果になるという。しかし、既にみたように、遺産の相続を期待して貸付けをするのは、通常の事態ではなく、遺言がある等により債務者に相続財産が帰属しない場合に、債権を確保できない場合があるとしても、不当に債権者の立場を害するものとはいえない。

(四) 控訴人は、以上のほかにも、遺留分減殺請求権の代位行使を認めるべき根拠を主張するが、採用しがたい。

三  そうすると、控訴人が乙山三郎に代位して遺留分減殺請求権行使の意思を表示しても、その効果は生じないといわざるを得ない。

したがって、本件土地は、被控訴人が相続により取得したものであり、被控訴人の所有であるから、控訴人が本件土地についてした強制執行は許されないものといわざるを得ない。

第四  結論

以上の次第で、被控訴人の請求は正当である。原判決は相当であり、本件控訴は理由がないからこれを棄却することとし、主文のとおり判決する。

(口頭弁論終結の日 平成九年一一月一一日)

(裁判長裁判官 宍戸達徳 裁判官 岩井 俊 裁判官 高野輝久)

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